教念寺について

教念寺の歴史

教念寺

永正六年(1509年)、上諏訪岡村の地に、教誉浄念(きょうよじょうねん)という念仏者がいました。彼は草庵を作り、村人の信仰を集めていました。村人の中からいつ知れず、「教誉浄念様の草庵を建て直してお寺にしよう。お寺は教誉浄念様の名前をとって、教念寺としよう。」という声が起こりました。
一方、同じころに、この地に霊験のある阿弥陀様が描かれた掛け軸があり、村人の信仰を受けていました。(左図の掛け軸)(下図の掛け軸)

導師仏  width=

この掛け軸は一尺八寸(54~55cm)の大きさで、正面を向いた阿弥陀様が描かれたものでした。葬儀の時にはこの掛け軸を借りて、亡くなった方の後生安楽を念じていました。村人たちからこの掛け軸は「導師仏」とあがめられるようになったそうです。霊験あらたかなこの掛け軸と、世に優れた念仏者、教誉浄念への尊崇は村人たちの心に重なり、特に信仰を強くした藤森州守夫妻と、宮坂右近氏、小松氏らとともに三者が発願人となって財産を寄付し、また多くの人からのお布施を集めて、お寺を建立し、寺名を教念寺としました。開山として、相蓮社伝誉一袋 大和尚が迎え入れられました。この大和尚は天正十二年(1584年)75歳で没したということのみが分かっています。過去の災害によって資料が失われてしまったようです。

十三世照誉上人は、念仏講(念仏を信じる人々が当番の家に集まり念仏を唱える会)を起こし、その浄財によって元文元年(1736年)に寺域を拡大して八間(14.5m)四面の本堂を建立しました。

十四世照誉上人の代に七間×十三間(13m×24m)庫裏が完成しました。しかし天保十四年(1843年)五月二十七日の大火事により本堂、庫裏、山門などが全焼しました。経蔵だけは消失を免れて、文政七年(1824年)建造の姿を残しています。現存の本堂・庫裏は翌天保十五年(1844年)の三月に建造を始め、弘化二年(1846年)七月二十九日に入仏式を行っています。

昭和四十年(1965年)、法誉上人の発願により本堂は格天井に改め、庫裏改修、鐘楼建立、ならびに経蔵、山門屋根を銅板ぶきに改修。また昭和54年(1979年)には善導大使千三百年遠忌を記念し、大誉上人に総檀中の喜捨を仰ぎ本堂・庫裏屋根および隠寮改築、新墓地造成など百年来の寺檀の宿願を成就しました。本堂屋根は銅板本がわら棧ぶきで、当地には珍しい工法で造立。堂々とした、荘厳な外観が整えられました。

略年表

  • 1509年永正六年

    教誉浄念という大念仏者が信仰を集め、村人による教念寺建立の動きが始まる

  • 1584年天正十二年

    教念寺開山の相蓮社伝誉一袋 大和尚 75歳にて没

  • 1736年元文元年

    十三世照誉上人が、念仏講を起こし、その浄財により八間四面の本堂を建立

  • 1843年天保十四年

    五月二十七日の大火事により本堂、庫裏、山門などが全焼。経蔵だけは消失を免れる

  • 1844年天保十五年

    三月から本堂、庫裏の建造を始める

  • 1846年弘化二年

    七月二十九日、本堂、庫裏が完成。入仏式を行う。(現存の本堂と庫裏)

  • 1965年昭和四十年

    法誉上人の発願により本堂は格天井に改め、庫裏改修、鐘楼建立、ならびに経蔵、山門屋根を銅板ぶきに改修

  • 1979年昭和五十四年

    本堂・庫裏屋根および隠寮改築、新墓地造成など百年来の寺檀の宿願を成就

教念寺本尊 阿弥陀如来

教念寺本尊 阿弥陀如来

教念寺の本尊は阿弥陀如来です。「教念寺の本尊さまは寒がりで、諏訪の温泉に入り来てそのまま教念寺に残るようになった」という昔話があります。夜な夜な地域の温泉に入って、檀家様との交流を深めているという話もあります。

国の重要文化財 絹本着色羅漢像掛け軸2幅

国の重要文化財 絹本着色羅漢像

絹本着色羅漢像は、元は国宝、現在は国の重要文化財に指定されている掛け軸です。
これらの掛け軸は紙に色が塗られているのではなく、着色された絹によって描かれています。

この二幅の掛け軸はお釈迦様のお弟子様である羅睺羅(らごら)尊者(右)と半托迦(はんだか)尊者(左)を描いた同形の双幅として仕立てられています。大正七年に国宝指定を受けました。

絵は縦136cm、横53cmの大きさで、絹本着色。由緒書によると享和元年(1801年)に、伊勢山田・宝積院の義音上人から教念寺十七世卓門上人に贈られたとされています。ともに人物を大きく描き、背景には中国風の岩や木があって、宋(中国)の原画を思わせますが、面相筆を用いた自在な筆運びは純然たる和画の特色を出しており、画家名は伝えられていないものの宋風羅漢図が輸入された藤原末期から画僧・明兆の時代の中間あたりの作とされています。

羅睺羅(らごら)尊者(右)はお釈迦様の実の息子です。父について出家し、戒律を細かなところまで守り、十大弟子の一人になった羅漢です。淡色の袈裟を掛け、白衣の童子が双手で紅蓮華をささげており、その花の紅は鮮やかです。半托迦(はんだか)尊者(左)はバラモンの子で、やはりお釈迦様の弟子になり大知恵を与えられたという羅漢です。鬼形が白い玉を捧げている図柄です。

山門と十六羅漢像

教念寺本尊 阿弥陀如来

神社の鳥居に対してお寺の入口は山門と呼ばれます。すべてのお寺に山門があるわけではなく、諏訪地方では山門があるお寺は教念寺のみです。教念寺の山門は、明治三十六年(1903年)に建立されました。山門の中には、お釈迦様の16人のお弟子様である、十六羅漢像が安置されています。この十六羅漢像は山門よりもかなり古いものです。天保十四年(1843年)の大火事の際に十六羅漢像は教念寺から温泉寺に運び出されましたが、昭和十年の改修の時に現在の山門楼上に安置せられました。なお、山門の十六羅漢像が安置されているお堂は扉が常時閉まっており、基本的に公開はされておりません。

教念寺本尊 阿弥陀如来
教念寺本尊 阿弥陀如来
教念寺本尊 阿弥陀如来

当麻曼陀羅たいままんだら

教念寺本尊 阿弥陀如来

浅草寿松院尋誉上人の書簡によると、この曼陀羅は宝永六年(1709年)に和州当麻寺護念院が江戸にて開帳を行った際、不都合が生じ、関東十八檀林の一寺であった天徳寺に渡ったそうです。次いで天徳寺の春誉上人の弟子、結城弘経寺忍誉上人から武州浅草寺の寿松院へ授与。そして宝暦二年(1752年)、寿松院の尋誉上人が、師跡寺である教念寺の最誉上人に寄進したものです。曼陀羅を寄進することで、三界万霊供養や、当時の人々が当麻寺に参詣に行かずとも極楽の荘厳な様子を拝覧できるよう願ったものと思われます。現在、教念寺では年に一回この曼陀羅の開帳供養を続けています。

子安地蔵 安産祈願、お子様の健康祈願に

教念寺本尊 阿弥陀如来

教念寺の山門を入って左手に、子安地蔵があります。このお地蔵様には安産祈願、健康祈願のご利益がございます。かつて妊婦さんが、この子安地蔵に安産祈願をしていたそうです。子どもが無事生まれ、涎掛けが取れるまで成長したら、「無事健康に育ちました、ありがとうございました。」とお礼を申し上げ、必要なくなった涎掛けの裏に名前を書き、お地蔵様に掛けていたそうです。

教念寺 縁日家族まつり

教念寺本尊 阿弥陀如来

最近は小さなお子様がのびのび遊べる場所が少なくなっていると聞きました。公園もなかなか大きな声を出せず、昔と比べ、遊べる遊具も限られているようです。また、コロナもあり、今のお子様はお祭りを経験したことのない子が多いようです。そんな子どもたちが楽しく遊べる場所を提供したいと思い、開催しております。

日程 毎年9月の第三日曜日
イベント内容 どなたでも参加いただけます。
  • ・キッチンカーの出店
    (昨年はピザ、フランクフルトと焼きそば、クレープ、かき氷)
  • ・アルコールの提供
  • ・射的
  • ・ストラックアウト
  • ・わなげ
  • ・小物のおもちゃをすくう(スーパーボールすくいみたいなもの)
  • ・ヨーヨーつり
  • ・京都より職人を呼んでの数珠作り 等

お寺の様子